こんにちは。Hadamiです。
今回は、私と脂漏性皮膚炎・ニキビ・アトピーの歴史を紹介します。
発症から20年、紆余曲折を経て改善に至ったので、参考になればうれしいです。
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管理人Hadamiのプロフィール
名前:Hadami(はだみ)
年齢:アラサー(脂漏性皮膚炎、ニキビ、アトピー歴は20年)
仕事:IT系企業勤務(まあまあ激務)
好きな食べ物:ラーメン、ポテト、からあげなど
(脂っこくて、しょっぱいもの全般が大好きです)
※この食の嗜好が、皮膚病発症の要因のひとつだったようです。
私の脂漏性皮膚炎の歴史
【0歳~9歳】皮膚病とは無縁の、ごく普通の子供だった
わたくしHadamiは、埼玉県で生まれ育ちました。
両親が結構な潔癖症だった、ということ以外は特に変わったところのない、普通の家庭の、普通の子供でした。
※昭和感がすごいですが、一応平成生まれです(笑)
幼少期は肌トラブルとは無縁だった私。
冬のお風呂上り、いつも母が私の体にクリームを塗ってくれたのですが、
「Hadamiちゃんの肌はキメが細かくて綺麗だねぇ♪母ちゃんのカサカサおててとは大違い!」
とにっこり笑っていたことを覚えています。
まあ幼い子供なので、大人より肌が綺麗なのは当たり前なのですが。
しかしこの後、当たり前だと思っていたことが、当たり前でなくなっていまうのです。
【10歳~12歳】謎の皮膚炎を発症
私の肌に異変が起きたのは、記憶が正しければ10歳の頃(小学校4年生)でした。
と言うのも、それまで肌の異変という概念すらなかったため、いつ、どのようにして発症したのか、はっきりと覚えていないのです。
ある日気がついたら、顔がニキビと湿疹で赤くただれていました。まるで真っ赤な小鬼のように…
そして、皮脂で顔中べたべたなのに、乾燥している時のように鼻や頬の皮がべろべろにめくれあがってきました。
さらに、症状は顔だけではありませんでした。
頭皮にもごわごわした湿疹が大量に発生し、肩には剥がれ落ちたフケがびっしり…
驚いた母に連れられ、人生ではじめての皮膚科に行きました。
近所の整形外科兼皮膚科のおじいちゃん先生によると、
「思春期のニキビだね。顔の塗り薬と頭皮のローション出すから、毎日塗ってね。」
とのこと。
あっという間に診察が終わり、薬をもらって帰宅しました。
しかし、もらった薬を塗っても症状は改善せず、顔の湿疹は見るに耐えないほど悪化し、頭のかゆみも夜眠れない酷くなっていきました。
夜中、血がにじむほど頭を掻きまくって、その異様な音に驚いて家族が起きてしまったこともありました。
これは、ちょっと普通の皮膚病じゃないかも…
治療法を求めて市内の病院を転々とする中で、ある病名を告げられました。
その病名こそ、
脂漏性皮膚炎
でした。
その字面を見て、幼心に「なんか嫌な感じ」と思いました。
そしてその日、黄土色のチューブに入った薬をもらいました。
後になって知りましたが、これは脂漏性皮膚炎を引き起こす要因のひとつと考えられている「マラセチア」というカビの一種を殺す、ニゾラールという薬だったようです。
その薬を塗って、一時は症状が好転しましたが、しばらくするとまた元の症状に戻ってしまいました…
病名さえわかって、正しい薬を使えば、すぐに治ると思ったのに…
自分が患っている皮膚病はそう簡単には治らないものなのだと痛感して、落ち込んだことをよく覚えています。
【12歳~15歳】肌をからかわれ、辛すぎた中学校生活
肌の状態が良くならないまま、私は中学校に上がりました。
小学校時代は、肌をからかわれることはありませんでしたが、中学校に入ると、
「ニキビがうつるから寄るな」
「キモすぎる」
「まじで汚いんだけど。ちゃんと頭洗ってる?」
などと心ない言葉をかけられるようになりました。
クラスの男の子たちがバイ菌を付け(鬼ごっこのような遊び)をはじめた時には、本当に、本当に傷つきました。
私だって、好きでこんな肌でいるわけじゃないのに…
青春を思い切り楽しんでいる、肌が綺麗な子たちが心底羨ましかったです。
じっと耐えるようにして、中学校の3年間をなんとかやり過ごしました。
【16歳~18歳】ファンデーションとの出会いで人生が激変
中学校を卒業して高校に入った頃、私の人生を変える出会いがありました。
そう、私の救世主「ファンデーション」との出会いです。
肌が汚くても、ファンデーションを塗ったらきれいに見えるらしい。
そんなことを小耳にはさんだ私は、人生はじめてのファンデーションを買うことにしました。
通学路にあるセイムスで2時間近く悩んで、ようやく人生初ファンデーションを手に入れました。
半透明のガラス瓶に、ピンクの蓋のリキッドファンデーション。
バラの絵がプリントされたプラスチックの箱に入って、値段は30%オフで1,000円ちょっとだった気がします。
記憶を元に商品を探してみると、まだありました!
パッケージは変わってますが、これで間違いないと思います。
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50歳からのエイジングケア(笑)
なにも知らず年配の女性向けの商品を買っていたようです(笑)
レジのおばさんは、きっとお母さんへのプレゼントだと思ったでしょう。
ドラッグストアを出た後、家に帰るまで待ちきれず、信号待ちの最中にパッケージをばりばり開けて、顔に塗ってみました。
その瞬間の感動は今でも忘れられません。
「顔が赤くない…いいじゃん、私!!」
今思えば、ファンデーションの色のこともよくわからず、地黒の肌に明るい色を塗っていたので、めちゃめちゃ不自然だったのですが(笑)
【参考画像】
首と顔の色の違いよwwww
もはや白塗り、バカ殿状態wwwwww
完全に黒歴史(ある意味白歴史)ですが、もう十年以上前のことなので気にせず晒します。
「化粧で肌トラブルは隠せる」ということを学んで以来、私の人生にファンデーションは欠かせないものになりました。
お小遣いで色々なファンデーションを買い、途中からは下地やメイク落としの存在にも気がつき、どんどんメイクにハマりました。
ファンデーションを塗るようになってから、「Hadami最近可愛くなったね!」と言われるようになり、人生で初めて彼氏もできました。
しかし、ロクなケアもクレンジングもせず、毎日ファンデーションを塗りたくることで、素肌のダメージは相当だったと思います。
毎日、
皮がはがれ、ニキビ・湿疹で覆われた肌を隠すために厚化粧をする
↓
ますます肌が荒れる
↓
もっと厚塗りをする
↓
以下無限ループ
という悪のスパイラルに陥っていました。
この頃はもう「病院に行っても治らない」と諦めて病院通いもやめてしまっていました。
治すことではなく、隠すことに必死だった10代後半でした。
【18~22歳】全財産を肌につぎ込む日々
大学に進学すると同時に、人生初のバイトを始めました。
はじめは居酒屋や焼肉屋、ドラッグストアで慎ましくバイトをしていましたが、美容皮膚科のレーザーというものの存在を知って以来、普通のバイトの時給では満足できず、地元のキャバクラで働くようになりました。
大学に行って、サークルに顔を出して、週に3回はバイトに行く、そして深夜に音を立てないようにこっそり帰宅、というハードな生活を送っていました。
そして、稼いだ十数万円のほぼすべてを、美肌レーザーに注ぎ込みました。
フラクセル、フラクショナルco2、ジェネシス、イントラセル…これをやれば肌が綺麗になると信じて、200万円以上費やしました。
しかし今思えば、当時は肌荒れも全盛期で、レーザーを打つべき状況ではなかったと思います。
ただれた肌をレーザーで傷つけては、痒さに耐えきれず掻き毟って色素沈着してしまう、という最悪の状況でした。
炎症が落ち着いた今でも、色素沈着はうっすら残ってしまっています。
【22歳~】大学卒業、就職
ハチャメチャな大学生活でしたが、単位ギリギリでなんとか卒業し、都内の会社で働きはじめました。
就職後は受付の仕事などもあったため、ダウンタイムのきついレーザー治療はできなくなりました。(マスク着用NGだった)
社会人になってからは、レーザー治療による余計な肌ダメージはなくなったものの、仕事のストレスで度々ひどい肌荒れを起こしていました。
そこで、久々に皮膚科通いを再開しました。
「脂漏性皮膚炎 病院」といったキーワードで有名な病院や、評判の先生を見つけては、時には数時間かけて出かけて行きました。
都内・埼玉・神奈川を中心に、10以上の病院にかかりました。
しかし、これといった改善も見られないまま、通院が苦になり行くのをやめてしまう…ということの繰り返しでした。
そんなある日、地元の友人に勧められて数駅先の皮膚科にかかったところ、先生から衝撃的な一言を賜りました。
「あなたは確かに脂漏性皮膚炎だけど、ひどい肌荒れの原因は脂漏性皮膚炎だけじゃない。」
先生曰く、
「大前提として、あなたはアレルギー体質で肌が極度に弱い。
それなのに、ケミカルファンデーションの厚塗りと安物のオイルクレンジングで肌を傷つけ、さらに塩辛い物、脂っこい物、お酒が大好きで、運動は嫌い。
すべての要因が重なって、脂漏性皮膚炎に加えて、ニキビ、アトピーの症状を併発してる。」
めちゃめちゃ驚きました。
なに、わたしアトピーなの?
私の肌はいわゆる典型的なアトピー肌のような見た目ではないし、乾燥より皮脂やニキビが気になる肌でした。
しかも頭皮はともかく、顔にはそれほど痒みはありません。
それは違くないか…?と疑う素人を無視して、
先生は迷わず、顔にアトピーの塗り薬、ニキビの塗り薬、保湿剤を、頭には脂漏性皮膚炎の塗り薬を、そしてアレルギー症状を抑える飲み薬を処方しました。
そして、生活面での禁止事項もたくさん言い渡されました。
*ファンデーションは使わないこと
*どうしても使いたいなら、軽いおしろいかミネラル100%ファンデーションにすること(ケミカルファンデは厳禁)
*外出時には必ず日焼け止めを塗ること
*メイクブラシは使わないこと
*とにかく保湿をすること
*シャンプー、洗顔料は、病院おすすめの敏感肌用のものを使うこと
*できる範囲で、食生活や生活習慣を見直すこと
などです。
もらった薬を服用し、先生の言いつけをすべて守ったところ、私の肌は劇的に、本当に劇的に改善しました。
※あ、今でもメイクブラシだけは使ってます(パフより薄づきでヨレないんだもん)。先生には内緒です。
***
こうして私の肌トラブルとの闘いは、いったん休戦というかたちで落ち着きました。
気がつけば「お肌の曲がり角」を迎える年齢になってしまいましたが、諦めずに肌と向き合い続けた結果、10代の頃よりずっと綺麗になりました。
今でも月に1度の皮膚科通いは欠かさないので「完治」とは言えませんが、
昔のように「ニキビの子」などと言われることもなくなりました。
美肌とは言わずとも、薄く化粧をすればこんな感じの普通肌です。
肌が荒れてる感じ、しないでしょ?
もちろん加工・フィルターなしです♪
だから今症状はひどくても、決して諦めないで。努力次第で肌の状況は改善できます。
「超美肌」は難しいかもしれないけれど、「トラブルがそれほど気にならない肌」には必ず戻れます。私が保証します。
肌が変われば、人生が変わる。
私はそう確信しています。
事実、肌のせいでいじめられて、人生になんの希望もなかった私が、今はこんなに楽しく生きてますから^^
だから、あなたにも諦めないでほしいのです。
このブログが、日本のどこかで肌に悩む方の助けになれば、こんなにうれしいことはありません。
before
after
以上、長い長~いHadamiの肌の歴史でした。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました!